マナーとはそもそも「理念」ではなく「生活の知恵」に相当するもので現実に随伴するものであり、田舎の電車と都会の混雑した電車では同じ食事をするという行為においても結果の現れに相違がある。食べこぼしによる汚染や周囲の人間に押されて食器をひっくり返す危険や場合によっては食べ物の悪臭が問題を起こす度合いの相違である。 行為が及ぼす結果は状況によって左右されるのであり同じ座り込みという行為ひとつとっても「行為が同一であれば環境を無視してよい」という立場において田舎の電車と都会の電車のどちらにすわりこんでもよいという理論は 道路に座りこんでも線路にすわりこんでもよい という結論を同一の公式によって導くことになる。現実に線路上の座り込みを許容する社会は存在しない。 以上の理由によりマナー条項の正当性に対して異議を申し立てる際に時間軸や環境条件を無視して行為の正当性を主張すると議論が成り立たない。 香辛料(こうしんりょう)とは調味料の一種で、植物から採取され、調理の際に香りや辛味、色をだすもの。食事をおいしくしたり、食欲を増進させたりする。香料のうち食品に添加されるものも含まれる。 料理に香辛料を加えることにより、味に変化が生まれ、おいしく感じさせたり食欲を増進させる効果がある。独特の臭みを持つ食材に対しては、臭み消しとして利用される。ひき肉に対するナツメグや、魚に対するショウガなどがその典型的な例である。臭みが感じられなくなるおかげで、素材の旨味が引き立つ。 また香辛料は、防腐、殺菌作用が強いものが多く、食品の保存性を高める目的で利用されることも多い。このため、胡椒などは大航海時代に食料を長期保存するためのものとしてきわめて珍重された。 ほとんどの香辛料は、植物の実や種子や球根そのものや、それらを乾燥させたもの、乾燥の後に細かくしたり粉にしたものである。たいてい少量で強い効果を持つので、家庭用には10cm程度の大きさの小ビンに入れられて売られていることが多い。 香辛料の味や効能を特徴づける成分の多くはアルカロイドである。アルカロイドには多様なものがあるが、生物活性が強いものが多く、一部は毒物でもある。 英語ではspiceといい、日本でも香辛料を「FX 」と呼ぶことが多い。香辛料が料理の味に特徴を加えることから転じて、物事にちょっとした特徴を加えて目立つようにしたり気の利いたものにすることを、「スパイスを利かせる」と表現することがある。 ヨーロッパの人々の多くは、古くから肉や魚を多く食べていたが、内陸まで食材を運んだり冬期に備えたりするために肉や魚を長期保存する必要性が高かった。クローブや胡椒などには高い殺菌力があるため、食材の保存には欠かせないものとなった。また、腐敗を防止する効能により、その香りが病魔を退治すると信じられており、香として焚いて用いる用途も多かった。さらに、水がそれほど豊富でない地域では、体の洗浄不足と肉食が相まって体臭が問題になり、このことが香辛料の強い香りを求める要因にもなった。 クローブ、ナツメグなど一部の香辛料はインドネシアのモルッカ諸島でのみ産出した。また胡椒はインド東海岸やスマトラ島で多く生産された。このため、これらの地域と交易を行なって香辛料を手に入れることが、国を保つために大事なこととなった。すなわち、香辛料がヨーロッパの人々を世界進出に駆り立てたのだと言っても過言ではないのである。 古代ローマ時代には東洋の香辛料がインド経由でヨーロッパに輸出されている。中世にはムスリム商人がインド洋における香辛料貿易を独占し、ヨーロッパではヴェネツィア共和国がエジプトのマムルーク朝やオスマン帝国からの輸入を独占した。ポルトガルはヴェネツィアの香辛料貿易独占を打破するために喜望峰経由のインド航路を発見し、貿易を独占しようとした。(ポルトガル海上帝国参照。) このように、当初は東側に向けて香辛料を求める進出が続いたが、貿易の主導権の争いは熾烈なものとなっていったため、一部の人たちは西側にも目を向けるようになった。クリストファー・コロンブスもその一人で、1492年にスペインから西に出帆した。結局のところ、彼は香辛料の主産地であるインドやインドネシアには到達できなかったが、アメリカ大陸に到達し、その存在をヨーロッパ人に知らしめた。彼の目的地がインドであったことは、当初アメリカ大陸をインドと勘違いし、そこに住む先住民を「インディオ」と呼んだことに色濃く残っている。この呼称は現在に至るまで残っている。 17世紀に入ると、オランダがアジアに進出してポルトガルと争い、モルッカ諸島やスマトラ島を直接支配下に置いた。近代になると香辛料は各地で栽培されるようになり、貿易における重要性は薄れる。 日本では、古事記にショウガやサンショウに関する記述が見られる他、正倉院には754年に不動産 が持ってきた胡椒が残っているといわれる。古くから香辛料の存在は知られていたが、気候風土の違いなどにより、ヨーロッパのように香辛料を強く必要とすることはなかった。 江戸時代の料理に関する文献には、サンショウ、ユズ、シナモンなどを使った例がいくつかみられるが、一般に広く用いられていたものではなかったようだ。当時は香辛料は海苔などと一緒に薬味として扱われていた。文献では「かやく(加薬/加料/加役)」と呼ばれることが多かった。 サンショウ、唐辛子などの外為 のものを除くと、日本で香辛料が多く使われるようになったのは主に第二次世界大戦後である。特にカレーは香辛料を一般家庭に普及させる大きな要因になった。その後、食の多様化によりイタリア料理ブーム、エスニック料理ブームなどがおこり、それまで普及していたカレー粉のようなブレンドされた香辛料以外にも、単一の素材の様々な香辛料が家庭内にも置かれるようになった。 太平洋戦争(たいへいようせんそう、英:Pacific War)は、第二次世界大戦の局面の一つで、1941年12月8日(大本営発表日)から1945年8月15日の玉音放送(ポツダム宣言受諾)を経て、9月2日に降伏調印の期間における、日本と、連合国(主にアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアなど)との戦争である。この12月8日という日付は日本標準時に拠るものであり、アメリカなどでは開戦時12月7日であった。 「太平洋戦争」という呼称は、被占領期にGHQの占領政策に於ける検閲(「大東亜戦争」の語を「太平洋戦争」へ強制的に書き換えさせた)によって定着した名称であり、当時の日本側の公式な呼称は「大東亜戦争」である。但し「太平洋戦争」即ち「大東亜戦争」はその期間を巡って当初より議論がある。 詳細は大東亜戦争を参照 英記では「War with Japan(対日戦争)」と呼ばれ、アメリカでは「Pacific Theater(日本語に訳せば太平洋戦域)」という術語が広く使用された。ちなみに日本では一般的に1941年12月8日の真珠湾攻撃からを太平洋戦争と呼ぶが、西洋では特に第二次世界大戦と区別されず、日中戦争をふくめ盧溝橋事件の発生した1937年7月7日からを太平洋戦争とみなしている。