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母の日

長期的に人口が安定的に維持される合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子供の数)を人口置換水準(Replacement-level fertility)という。国際連合は標準的な人口置換水準を2.1と推計している。人口学において少子化とは、合計特殊出生率が人口置換水準を相当長期間下回っている状況のことをいう。 経済発展と生活水準の向上に伴う出生率と死亡率の変化には、多産多死から多産少死、少産少死へ至る傾向があり、人口転換と呼ばれる。 多産少死のとき人口爆発が生じることは古くより知られ、研究が進められてきた。日本では江戸時代前半(約3倍増)と明治以降(約4倍増)の2度、人口爆発が起きた[1]。 かつて少産少死社会は人口安定的と考えられていたが、1970年代に西欧諸国で出生率が急落して以降、将来の人口減少が予測されるようになった。多くの先進諸国では死亡率が下げ止まる一方で出生率の低落が続き、1980年にはハンガリーが人口減少過程に入った。 少子化の主な直接原因は晩産化の進展による女性一人あたりの生涯出産数の減少である[2]。 晩産化が進む背景として、女性の就労機会の上昇などライフスタイルの変化によって結婚・育児の人生における優先順位が外貨預金 する中、結婚や育児・教育環境に高い条件を求める傾向が強まっていることが挙げられるが、データの根拠はなく、実態としては女性の就業率と出産率の間には正の相関があり、むしろ女性が働くほど子供も増えたことが指摘されている[3]。 また、結婚と出産が文化的に密接な為替 を保っている地域では晩婚化の進展および生涯未婚率の上昇が晩産化・無産化につながる例が多い。 欧米の先進諸国は世界でもいち早く少子化を経験した地域である。ヨーロッパの人口転換は戦前に終了していたが、アメリカ合衆国では1950年代後半にベビーブームが起きた。 1960年代には欧米は日本より合計特殊出生率が高かったが、1970年代には日本の緩やかな低下とは対照的に急激な低下が起こり、1980年代前半には欧米、日本ともほぼ同水準に達した。 1980年代中頃までは多くの国で出生率は低下し続けたが、1980年代後半からはわずかに反転あるいは横ばいとなる国が増えている。アメリカやスウェーデンなどは1990年に人口置換水準を回復したが、その後再び低下した。多くの国では出生率回復を政策目標とはせず、育児支援などは児童・家族政策として行われている。 南欧では1970年代後半から合計特殊出生率が急低下し、イタリア・スペインでは1.1台という超低出生率となった。伝統的価値観が強く、急激に進んだ女性の社会進出と高学歴化に対応できなかったことが原因とみられる。1990年代後半以降、法制度面の改善と規範意識の変革により、出生率の持ち直しが見られる国もある[4]。 東欧・旧ソ連では計画的な人口抑制政策や女性の社会進出が早かったことなどから、もともと出生率が低かった。また1980年代以降、経済停滞や共産主義体制の崩壊などの社会的混乱による死亡率の上昇が生じ、20世紀中に人口減少過程に入った国が多い。 アメリカでは、1985年以降出生率が上昇に転じ、1990年以降合計特殊出生率2.0付近で横ばいになっている。これはヒスパニック系国民の出生率が高いためであり(2003年で2.79)、非ヒスパニック系白人やアジア系の出生率は人口置換水準を下回ったままである。 しかし一方で非ヒスパニック系白人の出生率も2000年以降1.85程度と(2003年で1.86)、人口置換水準以下ではあっても日本・欧州よりは高い水準にあり、かつ低下傾向ではなく横ばい状態にある点には留意すべきである。 また、かつて非常に高かった黒人の出生率は1970年代以降急激に下降し、白人やアジア系の水準に近づいている(2003年で2.00)。なお、アメリカでは欧州各国のような国が直接的に関与する出産・育児支援制度などはほとんどなく、基本的には民間の企業やNPO、財団法人などが少子化対策に対応しているケースが多い。 フランスでは長く出生率は欧州諸国の中で比較的高い位置にあったが、1980年代以降急速に下がり1995年には過去最低の1.65人にまで低下した。その後政府は出生率を人口置換水準である2.07人にまで改善させる事を目標と定め、各種の福祉制度や出産・育児優遇の税制を整備した。 女性の勤労と育児を両立を可能とする「保育ママ制度」、子供が多いほど課税が低くなる『N分N乗税制』導入や、育児手当を先進国最高の20歳にまで引き上げる施策、各公共交通機関や美術館などでの家族ぐるみの割引システムなどが有名。この結果低下したフランスの出生率は2006年に欧州最高水準の2.01人にまで回復した。 一方で、子供を4人以上産めば事実上各種手当だけで生活する事が可能となるため、低所得者が多いイスラム系移民や西アフリカ出身者、アジア系の出産ばかりが激増しているのではないかとの指摘もあるが、フランスにおける新生児の48.5%は法的に結婚していないカップルの子供であり、これは移民層の持つ伝統的な価値観とは大きく異なる。 むしろ、事実婚や一人親家庭などの多様な家族のあり に対して社会が寛容である事、シングルマザーでも働きながら何人も子供を生み育てることが可能な労働環境と育児支援が法整備されていることが最大の特徴と言える。なお、フランス国立統計経済研究所 (INSEE) は「移民の出生率は0.4ポイント高いが、人口比では大きくないので大勢には影響しない」としている[5]。このことは移民以外の出生率も1.9以上の高水準であることを意味している。 イギリスは1960年代後半から出生率が下がり1990年代後半まで1.6人前後で推移していた。トニー・ブレア労働党政権以後、フレキシブル制度の奨励をはじめとする労働環境の改善やサッチャー保守党政権下で発生した公教育崩壊の建て直し(具体的には予算の配分増加・NPOによる教育支援)、外国人の出産無料などが行なわれた。 その結果2000年以降イギリスのIPO は持ち直し、2005年には1.79人にまで回復した。1990年代前半のスウェーデンのように経済的支援だけに目を向けた出生率維持の色が濃厚な短期的少子化解決政策ではなく、父母双方が育児をしやすい労働体系の再構築や景気回復による個人所得の増加を併せた総合的・長期的な出産・育児支援政策の結果として出生率が上がったことは現在国内外でかなり高く評価されている。 スウェーデンでは出生率が1980年代に1.6人台にまで低下し、早くに社会問題となった。そこで、女性の社会進出支援や低所得者でも出産・育児がしやすくなるような各種手当の導入が進められた。また婚外子(結婚していないカップルの間に誕生した子供)に嫡出子と法的同等の立場を与える法制度改正も同時進行して行なわれた。 結果1990年代前半にスウェーデンの出生率は2人を超え、先進国最高水準となった。この時期、出生率回復の成功国として多くの先進国がこのスウェーデン・モデルを参考にした。 しかし1990年代後半、社会保障の高コスト化に伴う財政悪化により政府は行財政改革の一環として各種手当の一部廃止や減額、労働時間の長期化を認める政策をとった。結果2000年にはスウェーデンの出生率は1.50人にまで急落した。 その後はイギリスと同様男女共に働きつつ育児をすることが容易になる労働体系の抜本的見直しや更なる公教育の低コストを図り、2005年時点で出生率は1.77人まで再び持ち直した。更に翌2006年には出生率1.85人、出生数10万6000人とおよそ10年ぶりの高水準にそれぞれ回復している。 ドイツの出生率低下と現況 ドイツは2005年時点で出生率が1.34人と世界でもかなり低い水準にある。東西分裂時代より旧西ドイツ側では経済の安定や教育の高コスト化などに伴う少子化が進行しており、1990年ごろには既に人口置換水準を東西共に大幅に下回っていた。 その後ドイツ政府は人口維持のため各種教育手当の導入やベビーシッターなど育児産業の公的支援、教育費の大幅増額などを進めた。しかしドイツでは保育所の不足や手当の支給期間の短さ、更に長く続く不況による社会不安などが影響して2000年の1.41人をピークに再び微減傾向にある。出生数も2005年に70万人の大台を割り、今のところ大きな成果は挙げられていない。 なおドイツは既に毎年10〜15万人前後(2005年は約14.4万人の自然減)の人口自然減に突入しており、このまま推移すると2050年には総人口が今より1000万人あまり減る事が予想され、政府は大胆な対応を迫られている。またドイツは世界有数の移民大国・外国人労働者受け入れ国家でもあるが、既にその移民や外国人労働者の家族も上記の理由で少子化が進んでおり、移民社会の末期的様相を呈し始めている。