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のし紙

スウェーデンでは1980年代後半に出生率が急激に回復したことから少子化対策の成功例と言われ[22]、日本において出産・育児への充実した社会的支援が注目されている[23]。しかし、前述した通り、スウェーデンは高コストであった従来の出生率改善策を放棄しており、より長期的な観点に立ったイギリス式モデルによる改革を行っている。 また、オーストラリアでは1980年代から、日本では1990年代から、家族・子供向け公的支出がGDP比でほぼ毎年増加しているが、いずれも出生率は低落傾向が続いている[24]。 個別の施策と出生率の関係を厳密に定量化することは難しく、高福祉が少子化を改善するか否かは総合的な観察からも明瞭な結論は導かれない[25]。 移民受入の是非 人口減少下において労働人口を確保するためには(1960年代のヨーロッパ諸国のように)移民を積極的に受け入れざるをえない、との主張がある。 これに対し「文化摩擦、社会の階層化、差別など深刻な社会問題が生じかねない」「移民は1〜3世代で少産のライフスタイルに同化する傾向にある」など、移民の受入はデメリットが多くメリットが少ない、との反論がある。 実際、2005年のパリ郊外暴動は、多くのFX が参加して世界に衝撃を与えた。また、ドイツでは移民も一般的なドイツ人のライフスタイルと同様、少子化傾向が続く現象が起こっており、移民を受け入れても現状の先送りにしかならないとの意見もある。 出産しない、出来ない女性の立場からは、フェミニストの社会学者、上野千鶴子が『1・57ショック 出生率・気にしているのはだれ?』(1991年)を著し、社会的整備を抜きに女性に対し一方的に子育てを押しつける社会のあり方に疑問を投げかけた。「気にしている」のは、「子供がいない女性」ではなく、政府・財界だと説明したのである。この上野の著作が嚆矢(初め)となって様々な著作が書かれている。 なお、女性の人工中絶を禁止することが少子化対策になるのではないかという意見もあるが、人工中絶を悪しきものとする倫理観が高いカトリック国のイタリアとドイツも、人工中絶数が多いロシアも、ともに日本並みに出生率が低く、人工中絶数と少子化の度合いに直接の関連性はみられない。 また、今の政府の少子化対策は、太平洋戦争中の「産めよ増やせよ」政策のように「女性は子供を産むための“道具”でしかないのか」と女性団体から批判を受けることがある さらに、自治体や企業によっては、第2子以上を出産すると補助金や育児給付金といった制度を充実させているところもあるが、「お金のために子供を産むみたいで気が引ける」「補助金よりも育児環境を充実してほしい」という声も聞かれる。 日本の人口密度は、世界的に見ても高いので、人口の減少による人口密度の低下は望ましい、との意見がある。先物取引 の過密解消、地価下落、住環境や自然環境の改善などに寄与するとされる。 これに対し、近代の社会システムは労働力と資本の集約を前提としており、都市部への人口集中が続く限り、人口の減少は過疎地の増大と地方都市の荒廃をもたらすだけだ、との反論がある。また人口密度の適正化は望ましいが、移行期に社会保障や経済などの面で圧迫される世代が生じるため、急激な少子化は容認できないとする意見もある。 晩婚化と出産との関係 これまで、晩婚化は高齢出産につながり、女性の出生能力が減少するという観点から、女性の早期結婚が特に奨励されがちであった。そのため、男性の晩婚化については問題視されていなかった。しかし、近年の欧米の研究では、高齢により男性の精子の質も劣化し、子供ができる可能性が低下し染色体異常が発生しやすくなる[26]ことなどが報告されている[27]。 高齢化社会(こうれいかしゃかい)とは、高齢者の増加により、人口構造が高齢化した社会のこと。指標としては総人口に占める高齢人口(65歳以上)の比率が高まっていくことをいう。高齢人口の増加の一方で、年少人口の減少とが同時並行的に進んでおり、2つの現象を合わせて少子高齢化と呼ぶことも多い。 人口の年齢構造を分析する上で、0〜14歳を年少人口、15〜64歳を生産年齢人口、65歳以上を老年人口とする3区分が用いられる。 高齢化社会という用語は、1956年の国際連合の報告書において、当時の欧米先進国の水準を基に、7%以上を「高齢化した (aged)」人口と呼んでいたことに由来するのではないかとされているが、必ずしも定かではない。一般的には、高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)によって以下のように分類される。 国・地域の人口構成は、発展途上段階から経済成長とともに、多産多死型→多産少死型→少産少死型と変化し、これを人口転換という。 発展途上段階では、衛生環境が不十分で乳幼児の死亡率が高いこと、単純労働の需要が大きいため初等・中等教育を受けていない子供も労働力として期待されること、福祉環境が貧弱なため老後を子供に頼らなければならないことなどから、希望子ども数が大きい。また育児・教育環境や生活水準に比して予定子ども数も大きい。このとき人口ピラミッドは、先が尖ったきれいなピラミッド型になる。 経済成長は衛生状態の改善と医療水準の向上をもたらすため、乳幼児の死亡が減り、平均寿命が延びる。そのため人口ピラミッドは、ピラミッド型を保ったまま拡大し、人口爆発が生じる。 経済発展による社会の変化が進むと、知的労働の需要が増して子供の労働需要が減退すること、福祉環境の充実により老後の生活を社会が支えるようになることなどから、希望子ども数が減少する。また育児・教育環境や生活水準に比して予定子ども数も小さくなる。一方、平均寿命の延びは鈍化するが、中年以下の死亡率はさらに低下する。このとき年少人口の低位安定と高齢人口の増加により、人口ピラミッドはつりがね型になる。 近代以降、人口爆発を経験した先進諸国は、人口安定的と予想された少産少子社会の実現を目標としてきた。しかし1970年代に急激な合計特殊出生率低下が生じて以降、出生率人口置換水準(2.08)は回復されず少子化が起きた。年少人口は減少し続け、人口ピラミッドは口がつぼんだ壺型へと変化し、高齢化率が急上昇している。 このように、高齢化は総人口および年少人口が安定または減少する中で、高齢人口が相対的に増加していくことによって生じる。 [編集] 「少子高齢化」「高齢化率」という言葉による誤解とその真の意味 「高齢者数」の増加は、年金、医療、介護等により、国家全体(国家単位)での社会保障費負担を増加させる。 一方、「少子高齢化」は、高齢者が社会に占める割合、すなわち「高齢者率」の上昇を意味するが、高齢者の絶対数が必ずしも増加しているとは限らない。すなわち、「少子高齢化」は、国家全体での社会保障費の負担の増加を意味しない場合がある。 ここで注意すべき点は、国家の側から見ると、社会保障費負担の増加は高齢者率の増加によって起こるのではなく、高齢者数の増加によって起こるのであり、その一方、諸個人の視点から見ると、それは高齢化率の増大によって起こるという点である。 この紛らわしさのために、少子高齢化・高齢化率という言葉は、現状を正しく認識する上で誤解を招きかねない危険性を孕(はら)んでいる[1]。 あたかも少子化(若年層の人数の減少)が原因となり高齢者数が増加しているかのように錯覚させている。また、若年層が増えれば高齢者数の増加による問題が解決するかのように錯覚させている。しかし、実際には、若年層の絶対数が増えても高齢者のそれが減るわけではないので、国家に掛かる社会保障費の負担が減ることはない[1]。ただし、若年層の絶対数が増えれば、それだけ、個々人が負担しなくてはいけない社会保障費は減るため、個人単位での負担の問題を考える場合には、それなりに有用性がある。 高齢化率 割合という計算式の性質上、高齢者数が増加していないにもかかわらず、高齢化率が上昇するということがある。例えば、日本国の高齢者数は2020年以降はほぼ横ばいで推移すると推測されている。その一方で、日本国の高齢化率は、2020年に29%となったあとも更に増加し続け、2050年には40%に達すると推計されている[要出典]。 上述したように、年金、医療、介護といった社会保障費負担は、国家単位の場合、高齢者数によって決定される。統計学的推定では、2020年以降、国家が負担する社会保障費は増加しない。ところが、このことは「高齢化率」という言葉を使ったとたんに見えなくなってしまう。ここでは、高齢化「率」の増加により引き起こされる、労働力人口の何人が一人の高齢者を支えなくてはいけないのかという問題は、国家ではなく諸個人に関係していることに注意しなくてはいけない。